A New Hero. A New Legend.
今更ながらに仮面ライダークウガを観て、色々と考えることがあったので書き出しておく。
基本的にはツイッターに書いたことのまとめです。
とにかくまずクウガを観て自分が感じたことは、
地に足ついた現実感をとても重視しているなあということだった。
特に序盤は怪奇ホラー的な雰囲気が色濃かったこともあり、
作品全体に『現実の延長としてのリアル』が強く打ち出されていたように思う。
それは場面ごとに示される時間と都内等の場所であったり、
警察の動向やニュースで流される未確認情報といった社会的要素とかもそうで
それらと合わせて、それぞれの登場人物の役割というか、五代君との関わり方もすごく地に足付いているのよな。
桜子さんも椿さんも榎田さんも警視庁未確認対策課の面々も社会的に五代君をサポートし、
それでいてそれぞれのささやかな日常も持ち合わせ、
その物語が小さな出会いの中で進展していくあたりとか。
とにかく、その辺の背景はどこを切っても現実にグロンギの出現という薄皮を貼っただけのように思えて、
まさにホラーとしてのグロンギの恐ろしさを際立たせているように思えたわけである。
そんな中で五代雄介のあの存在は、まさにヒーローそのもののごとく強く輝いてそんな人々を照らし、
仮面ライダークウガという作品ををまさに『物語』たらしめているのよな。
そして時に影として時に相棒として同じように輝いているのが一条さん。
未確認四号は五代雄介だけど、クウガは二人で一人という感じもする。
そんな風な現実感と、五代雄介という存在の融合があるから、
あの最終回もどこか『物語の終点と現実の延長線』みたいな雰囲気があるのよね。
最終決戦含めてそれまでの回が五代君のお別れの挨拶回りといった感じで、最終回は未確認生命体のいなくなった世界。
そしてそれは同じようにクウガ=未確認生命体第四号=五代雄介もいなくなった世界でもあり……。
グロンギが世界にもたらしたのは悲劇でありヒドいことばかりだったけど、
でもその中にあって、五代雄介がいた記憶だけは輝きとして、確実に皆の心には足跡が残っている。
そこにいなくても確かな存在感がある。
リアルの足場として現実を用いたような物語だったからこそ、あの雰囲気が出せたのだろうなと。
まあ、仮面ライダークウガと五代雄介の足跡はやはり偉大だったと思い知ったわけでございます。
初っ端からあんな作品出されたら、シリーズを続けていく上でクソ高いハードルだし、
だからこそ平成ライダーはシリーズとして続いているのだとも思うわけです。
で、そんなクウガと、いわゆる平成ライダー2期の最初の作品にして、
俺が最も好きである仮面ライダーWとの対比は色々と興味深いのでそのうちまとめてみたいところ。