Webスペースの無駄使いのその2

色でいうならば灰色

憤りの作法

最近色々な箇所で、無駄に怒っている人々が目に入ってくる。
怒りがあるときには物事を押す進めるエネルギーになるのは理解しているが、
いい怒り悪い怒りがあるよね。憤り方の作法というか。
結局怒りなんてもんはそもそも否定のエネルギーなんだから、
それを受け入れてもらうには当然、それ相応の工夫が必要になって来るわけで……。
まず他人の人格否定なんてもってのほか、その否定されている人がよっぽど嫌われていない限り、
個人的な感情むき出しになるだけ。
それじゃあ誰もついてこない。
もちろんいうまでもなく、勉強不足もアウト。
お前さんが怒ってるのは、単にお前さんが知らないだけだろってのは実に馬鹿馬鹿しい。
さらにそれを推し進めた自分にとって都合のいい『都合の悪さ』を想定して憤るってのは一番印象悪いね。
まさに怒りたいだけで、それを正当化しているだけしかない。
だからといって正論をストレートに言えばいいかというとそうでもなくて、
正論なんてものは怒りながら言っちゃいけない最もたるものだわね。
正しい事は常に受け入れられるってわけでもないんだし。
ましてや正しさを盾に否定に使ったら正論なんて凶器そのもの
まあ正直なところ、今ここでやってるのも同じような怒りの発散でしかないんだけど、
ちょっと最近そういうことが多すぎて愚痴りたくもなる……
じゃあいったいどんな憤り方をすればいいのかしら。
皆が実は憤ってる事を、みんなも怒ってイインダヨと臭わせつつ怒ればいいのか?
憤りの作法は難しい。もし同意を得たいのならね。
もっとも、人に受け入れられるつもりのない怒りなんて、本当にいい迷惑でしかないけど。