Webスペースの無駄使いのその2

色でいうならば灰色

納得いかないことに納得してしまうことに納得いかない

話は重いんですが、とある友人が不条理な理由でリストラされました。
しかも、それにもかかわらず、未だに有給を消化しながら(させられながら)
こき使われているわけです。
にもかかわらず、本人は会社に不満を持つどころか、会社をかばい、
不満も言わずに黙々とその仕事をこなしています。
まあ、個人的には、そのこと自体ですでにイライラさせられるんですが、
世の中がそんなに甘くないし、引き継ぎなどの本人だけしかできない仕事もあるんで、
そんなに簡単なことではないというのは一応はわかっているつもりです。
ただ、俺が、この一件でもっとも違和感を感じ、不条理に思うことは、
彼が、そんな会社に対して不満も漏らさず、逆に会社をかばったりするところです。
彼は言います。
会社に対して不満を言ったところで、何かが変わるわけでもないし、
そんなことを言うことで、自分の価値を下げたくない。

……まあ、考え方としてそういう物があるということは、知ってはいました。
でもやはり、正直、納得はいきません。
俺はおそらく、彼(彼ら)と、愚痴や言葉の効能も、自分の価値という物も、
まったく別の考えた方をしているしているんだと思います。
俺は、愚痴は必要悪だと考えます。
愚痴ることもせずに自分一人でため込んでは、却って不満は大きくなるばかりだと思います。
彼は変わらないと言いましたが、俺は変わると思うのです。
自分の価値だってそう。
確かに、愚痴を言う人間はあまりかっこいいものではありません。
でもそれが格好悪い理由は、自分の行動に対して弁解をしたり、
誰彼かまわず同情をひこうという態度であって、
不条理を不条理と訴えるのは、そこまでではないと思います。
少なくとも俺には、不条理を無理でもに受け入れ、
自分一人で納得しようとする態度の方が、
不自然で、人を信頼せず自分だけが不幸だというようで
逆に違和感を覚えます。
確かに、世の中は納得いかない不条理に満ち溢れています。
その一つ一つに愚痴をこぼしていたら、キリがないかもしれません。
でも、不条理を受け入れたら、たとえその不条理に何も言い返せないとしても
それを受け入れてしまったら、不条理は条理になると思うのです。
もちろん、彼自身も心の奥では納得していないでしょうが*1
納得したような態度をとり続ければ、いずれ納得していってしまう気がするのです。
言葉には、それだけの力があると思うのです。
結局言いたいことは、愚痴は、彼が考えているほど無意味ではないということです。
言葉には、魔力があります。

*1:少なくとも、俺はそう信じるし、そう信じたい