Webスペースの無駄使いのその2

色でいうならば灰色

刷り込まれた色

巡回していて印象に残ったエントリを俺なりに考えてみる。
http://d.hatena.ne.jp/hygrometry/20050405/1112707446

家族の映った古い白黒写真やテレビで流れる戦後復興の時代の
モノクロ映像をみるといつも気をつけることがある。
これはモノクロで記録された世界だが、
実際は今となんらかわらない色がある世界であるということを。
モノクロで見た写真なり映像は、
そのままモノクロの印象で頭に残っていることが多い。

確かに、そんなことはよくある。
我々は色のある世界を当たり前のように見てきて、
それを当たり前のように残せる世界に生きている。
おそらく感覚として、それが刷り込まれているからこそ、
モノクロしか残っていない世界には
それが初めからそこにモノクロとして存在していたのではないか
という錯覚を生み出すのではないだろうか?
つまり、白黒以外のそれらを見たことがないから、
それらが白黒として刷り込まれたのだろう。
いったい、過去はどんな色だったのだろうか?
俺は個人的な趣味として戦車模型を作っており、
よく第二次世界大戦の戦車を作るのだが、
その戦車達の色も、まったくもって掴みがたい空想にも似た世界となっている。
実物も残ってはいるのだが、
多くは50年以上という歳月によってその色も変化しているし
当時のカラー写真にしてもまた同様である。
さらに当時実在していたそれらにしても、
太陽光の当たり方や退色などの影響でまったく印象や色合いは異なり、
当時のカラーチップや塗料等の、現代の研究が進んでも、
本当の正解は闇の中というのが実情だろう。
これらの事を考えた時、俺はある模型店店主とその父親の会話を思い出した*1

 前回、父親に八九式の色を尋ねたら
「焦茶色は、ニコンSの革ケースみたいな色で云々...」とわかったような、
わからんような事を宣ったと書きましたが、カラーフィルムなどなかった時代は、
色を覚える手段として
「緑は、通学途中にある靴屋の看板の色より、やや暗めで、艶有り」とか
「茶色は父親のお気に入りの旅行鞄の色」という風に身近な物に例えており、
その癖が身についており、ああいう発言となったそうです。
「当時は、今みたいに街中に色が豊富でなかった分、
この方法でも不自由はなかった。
今なら規範となる色を決めるだけで目移りしてしまうだろうな。
パレードや国防博覧会で、戦車や飛行機を見たら、
この方法で色を頭に焼き付けて、家に戻って絵を描いて記録する。
航空雑誌のモノクロ写真に書き込んだ事もあったな。
当時の模型少年は、みんな、そうやっていたはずだよ」

 当たり前にカラーフィルムがあり、撮影ができる時代というのは、
実にありがたい物です。
http://www.ann.hi-ho.ne.jp/maxim/a/gumka_f.html#type89より引用

そして俺は思う。
10年後、30年後、我々は今の色を覚えていることができるだろうか?
おそらく写真技術も発達して、より正確に色のまま残すことは可能だろう。
だが、記憶の中で、それらの色をそのまま残しているのだろうか?
それらを残すために必要なのは、感受性?記憶力?それとも想像力?
なんにせよ、印象を受けた物を忘れずにいたいと思った。

*1:その世界ではかなりの有名人。残念ながら俺自身は直接の面識はない
http://www.ann.hi-ho.ne.jp/maxim/index.html