Webスペースの無駄使いのその2

色でいうならば灰色

ブログは情報源となり得るのか

昨日は自分がブログを書く理由と
ブログが書かれる状況、すなわちミクロな視点について考えたんで、
今日はブログが読まれ、情報として受け取られる状況、
つまりマクロな視点でのブログについて考えてみる。*1
とはいえ、俺の基本的なブログに対するスタンスは、昨日も書いたように、
所詮『チラシの裏』なんで、偏りが出るのはご容赦を……
で、情報源としてのブログの強みだが、
やはりトラックバックやコメントといった、
情報の一方的相互補完が可能な点であろう。
従来のhtmlサイトでは、リンクは書き手が一方的に貼る物であり、
貼られた側は、貼った側のアクションに反応して
ようやくそのリンク元を知ることになる。
しかもそのアクション自体も、メールなりBBSなりといった、
手間のかかる手段が主流であり、容易に可能とは言い切れない。
だが、トラックバックを飛ばせば、
その記事を参照にした事を容易に相手に伝えることが可能で、
それが公開されていれば、読者はそのトラバをたどって、
関連情報を集めることが出来る。
では、ここに潜む問題点はなんだろうか?
まず第一に考えられるのが、やはり情報の偏りであろう。
それが起こるもっともたる例は、対立的議論が冷静に行われず、
感情的対立から互いを意図的に無視する事による、情報の拒絶だろう。
現実世界、Web上共に、対立的議論が感情と切り離される事は、
そう多くないと思われる。
ましてや、文字だけでの情報のやりとりとなる
Webでの議論ではなおさらだろう。
作者に寛容な精神がなければ、
ブログの情報交流機能は酷く偏った物となる。
だが、中立であるところの読者にとって、
そんな作者同士の感情的対立などどうでもよく、
多様な情報に触れる機会こそが重要なはずである。
この問題はブログ以外でも充分に起こりうる事ではあるが、
ブログでは交流がメインとなるものであるため、
ことさらそれが強調されている感もあるかもしれない。
では、ブログが正しい情報としての価値を得るためには、
一体何が必要だろうか?

まあ免許制度はともかく、
ある程度情報とその出し手を選別していく必要があるだろうな。
そして客観的な情報選別者*2を用意して、情報を管理する。
でもそれはもはや既存のブログとはまったく異なる物だろうな。
ま、それはそれでアリかもね。

*1:[id:gachapinfan:20050317#p4]参照

*2:複数が望ましい