Webスペースの無駄使いのその2

色でいうならば灰色

自分の中にいる他人

まあ対恋愛での状況が主だが、そんな状況にだけ限らず、
普通の人間関係でも、俺はどうにも無駄に気を使いすぎてしまって、
返って自分という人間を悪い風に悪い風に見せてしまっている傾向がある。
もちろん、悪い人間に見られるというわけではないのだが、
ネクラで、気弱で、面白みのない人間という風に見られるのだ。*1
俺は人生の中で、これ以外に人と関わりも持つ術を知らないし、
それこそが正義であり絶対の秩序として刷り込まれているのだ。
まあいうならば、どこかのブログで読んだ言葉のコピペだが、
人との接し方をやさしさ以外に知らないのである。
そして、そのやさしさも、俺の中での基準でしかなく、
他人をどう思うかではなく、
他人にどう思われるかを自分で勝手に考えているだけである。
……だが、俺に一体どうすればいいのだ?
俺になんの責任があって、こんな事で苦しみ続けなければならないのだ?
この性質は、既に幼稚園の頃から俺の心の中で巨大なウェイトを占めていたのだ。
それを示すエピソードとしてこんな物がある。
ある時、クラスでスカートめくりやのぞきが流行ったことがある。
まあませたガキどもではあったが、
その中で、俺はただ一人、それを拒否した。
スカートめくりやのぞきなんかはよくないことだし、
女子も困っているから止めよう。

俺は友人にそんな注意をしていた。
だが、結果は酷いものだった。
女子から見れば俺がそんなことを言っていることなど知るよしもなく、
俺はのぞきをしたとして糾弾された。
呆然とした。
理由は当時は知るよしもなかったが、
今にして思えば、俺が吊し上げやすかったということなのだろう。
結局、スカートめくりものぞきもしなかった俺一人が、
コミュニケーションを取れず、空気も読めなかったために、
庇ってくれる人間がいなかったのだ。
だが、そんな目にあおうとも、
俺は自分の中にある歪んだやさしさを捨てることも出来ないまま成長していった。
歪んだやさしさは俺自身なのだ。
どうやって自分自身から逃れることが出来るというのだ?
人に嫌われるのが怖い。
たしかに、それもこの歪んだやさしさの一因ではあろう。
だが、それよりもっと根深い、心の一番奥の俺自身の中枢に
ヤツは最初から根を張っていたのだ。
本当に怖いのは、自分自身を自分自身が否定してしまうことなのだ。
そんな俺は間違った人間なのだろうか?
ゴミにも劣るような、
何も出来ないネクラで気弱で面白みのない人物なのだろうか?
もし、もしそうなのだとしたら、
それは既に先天的な物であり、どうにもならない欠陥なのだから、
俺はそんな先天的な欠陥を持った人間ということになるだろう。
そして、そんな欠陥を抱えたまま
この人間世界でこの先も延々と飼い殺しになるなら
いっそのこと屠殺してくれ……

*1:もっとも、それらのすべてが事実として俺の性格であることは否定できないが。
だが逆に、それらだけが俺の性格というわけでもない。
俺だって親しい人間に対しては自己主張することもあるし、つまらない冗談も言う。
それが他人には出来ないからこそ、今の問題があるのである