Webスペースの無駄使いのその2

色でいうならば灰色

氾濫する情報

とりあえず俺の中で宿題になっていた[id:da_silva:20050304#p2]の

インターネットというものが発達すると
人間は自分で物事を考えなくなってしまうのではないか

ということに関して考えてみる。
これに関する議論は、一週間前の話題ということもあり、
既に様々な意見も出ているので、*1
今回は、少し別角度からの分析を進めたい。
この議論でインターネットの特徴としてあげられているのが、
膨大な量の過去ログであり、
問題点として考えられるのが
過去ログによる自己意見のオリジナリティの消失危機、
もしくは過去ログによって自分の意見を汚染されるゲロ吐き人形化
である。

この件に関しては議論がなされており、
俺の個人的な意見としても、
それこそ既に過去ログに出ている物を越える物を持たないので*2
今回は多くは触れない。
そこで俺が問題にしたいのは、その情報の大本が
インターネット以外の場合はどうなるのであるかということである。
インターネットに限らず、この世界には様々なメディアがあり、
想像すると恐ろしいほど情報に満ちあふれている。
だが、それらのメディアとインターネットが根本的に異なる点は、
インターネットが双方向メディアであることである。
これまで莫大な影響力を持つメディアは、
そのほとんどが一方通行のものであった。
本しかり、ラジオしかり、テレビしかり……
これらが一方通行である影響は、
情報の受け手が何も考えずにその情報を受け取る点である。
情報を受け取った後に何かしらを考えることがあったとしても、
情報を受け取る前には、あらかじめ用意された情報を探すにしか過ぎない。
だが、インターネットは、情報を探すのが実に容易であるにもかかわらず、
情報を探す段階では、非常に能動的なのである。
googleのヤツに探したいワードを放り込み、
検索されたページを適当に2,3見繕って熟読すれば、
ある程度の知識は得ることができる。
それは非常に容易ではあるが、
そこには、googleを利用するという行為が必要であり、
その事はテレビを見るや本を読むに比べても、
非常に能動的行動という感覚が強い。
インターネットの利用は、考えるヒントとしても非常に手間が省けて、
便利な物でもあるが、
考えがそこまで深刻、重要ではない事柄に関して、
非常に危険な側面を持っているのではないだろうか?
つまり、考えなくインターネットの情報を利用し、その影響を受ければ、
それこそゲロ吐き人形になってしまうのではないということである。
当然それはその他のメディアでも起こりうることだが、
インターネットの恐ろしいことの一つは、
検索と選別いう行為を通すことによって、
さも自分で調べたという錯覚を引き起こすことである。
これは難解な本を読破した後に起こりうるそれに似ていると思う。
その結果、
インターネットで得た他人の考えをただなぞっているだけにもかかわらず、
さもその情報を自分の考えのごとく披露する事が起こりうるのである。
まあ今回俺が言いたかったことは、
情報に支配されないように自分の考えを常に持て
ってことかなー。まあありきたりな結論だけどね

*1:[id:gachapinfan:20050307#p1]参照

*2:オリジナルとは考えることである。たとえそれが過去の物と同じでも得る物は充分にある